自分史という小説
5_琵琶湖タワー
第5話 琵琶湖タワー  2001年まで、家の近くに琵琶湖タワーという遊園地兼売店があった。 観光バスのトイレ休憩としてなかなか繁盛していた。 最初の頃の売りは、名前の通りタワー。 今ではほとんどなくなったそうだが、円筒状の観覧席が回転しながらタワーのてっぺんまで上がり、 そして降りてくる。その頃は周りに高いたてものはなく、琵琶湖を含む田園風景が一望でき、 地元の者も年に何回か利用したものだ。
 ここで、大学の夏休みや冬休みの間アルバイトをさせてもらった。 叔母の紹介である。

 最初にやったのはジェットコースターの操作員。 乗り場の先に四角い部屋があり、その中にボタンスイッチとブレーキレバーが設置されていた。 ここで乗客が乗り終えると、電源スイッチを入れ、ブレーキレバーを外す。 スタートボタンを押すと、ガタガタガタとレールの中央にあるチェーンが動き出す。 このチェーンに、かぎが付いていてジェットコースターの底にひっかかり、引き上げていく。 ご存じのように、ジェットコースターは最初に最高点まで上がり、そこからは慣性でホームまで戻ってくる。 その最高点まで、このチェーンで車体を運ぶのである。  ある時、このチェーンが途中で止まってしまった。乗客は何もできずに固まっている。 さすがに安全ベルトをはずして降りてこようという者はいなかったので、 私はもう一度スタートボタンを入れた。
 途中でチェーンが動き出すことは、チェーンにとっても想定外のことだろう、ガーンという衝撃のあと、 ガタガタガタと苦しそうな音を立てて、ジェットコースターは動き出した。 当然、最初のゴーンで乗客のキャーという悲鳴が起こったのは言うまでもない。
 幸いだったのは、一周回って返ってくるまでに本来のジェットコースターのスリルで、 最初のつまづきはかなり薄められたことだった。客からのお叱りはなかった。
 こんな失敗もあった。 ブレーキレバーのかけ忘れである。車体の両サイドを締め付けるようなブレーキがホームについている。 これをかけ忘れたものだから、まだ慣性の残った車体は最初のチェーンで上る坂を 半分ぐらい勢いで駆け上がった。
 ここで又、スタートボタンを押さなければならない。後戻りはできない仕組みになっている。 最初のゴーンであの悲鳴である。これは経験済み。 1周回っている間に、今度はしっかりとブレーキレバーをかける。 これも幸いなことに、乗客からは2度楽しませてもらったと 好意的な返事で助かった。
 毎回、最初にレールの点検をする。さすがにこれはアルバイトではなく正社員の人がやっていた。 レールの横に通路があり、ここを通って金づちで叩きながら音で異常を確かめるらしい。 一度ついて行ったことがあるが、 高所恐怖症の私には無理だ。

 売店の横でたこ焼販売をしたことがある。 琵琶湖タワーのたこ焼は丸くなく、釣鐘状だった。 朝、勤務につくとまず生地を作る。出汁と卵と小麦粉でポリバケツ一杯分を作る。 しかし、見た目どうもゆるい。 割合は指定されているので私が勝手に変えられない。 そんなとき、天かすを入れるときがある。 これはうどんコーナーで天かすが余った時だけである。
 釣鐘状は見た目は大きい。 お客は「でかいなぁ」と喜んでいる。 しかし、生地がゆるいため、冷めるとしゅーうと縮んでしまう。 熱いうちに売って食べてもらうのがコツだ。  ある日、カナダから来たという女の子が二人、店の前に立ってたこ焼を指差し 「バーバー」と言う。バーバーとは何かと聞いたが、 その答えを聞き取る英語力はその時なかった。 たこ焼に似た、バーバーという食べ物があるのか今になっても気になるところだ。

 露店でコーヒー牛乳販売もやった。 ジェットコースターの一番高い部分を支える鉄柱の下でコーヒー牛乳を販売した。 ケースの上に氷を置き、注文があると針のついたふたあけで紙のふたを取って渡す。 (この当時は丸い紙の蓋がついていた)
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 こんな場合、客寄せで大声を出すのは苦手ではない。 結局、半日で六万円を売り上げた。1本いくらだったかは覚えていない。 遊園地なのでかなり高めだったと思うが、 コーヒー牛乳だけでこの売り上げは、後にも先にも記録だったと思う。 当時の専務に褒められたが、 特別手当が出ることはなかった。

 特別編
 昼食は無料で食べ放題。職員の多くは学生アルバイトだったので、お化け屋敷を見に行ったり、 ゴーカートに乗ったりと息抜きは結構できた。上以外の職場として売店の販売員やロータリーというゲーム機の操作などに回ったこともある。
くま邦彦:作文家 / 2025/2/4 初稿
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