自分史という小説
3_弓道
 大学では弓道部入っていた。

 新入生歓迎コンパがあった。 先輩連中がぜんざい(おしるこなのか区別はよく分からないが)を作り、 丼に入れて出してくれた。これが弓道部恒例の行事らしい。
 横で食べろ食べろと言う。 三杯平らげたところで周りから先輩達がいなくなった。
 例年だと皆甘いものが苦手で食べ切れないようだ。 それを、私は平気で三杯も平らげたものだから、 驚いたようだ。
 四杯目も楽に食べられたのだが、 そこは「空気を読んで」ご馳走様をした。

 新入生は十数名いた。 最初は当然、弓を射させてはもらえない。 「胴づくり」という基本をみっちりやらされた。
 たくさん入ったので嬉しかったのか、 先輩連中は「胴づくり」の指導で
「穴(けつ)の穴を閉めい。穴(けつ)の穴を閉めい」
と繰り返したものだから、 一人いた女子が1か月後止めた。
この女子が先輩だったか同期だったかは、 記憶にないが聞くに耐えられなかったのだろう。

 新人戦があり代表に選ばれた。 相手は日本大学。関東では1部リーグで定期戦では絶対に当たらない学校だ。
私の矢は荒れに荒れ、上下左右に揺れながら、 それでも二十射中十八中で、我がチームの最高点だった。
 日大はというと、五人の中で一番成績の悪かった選手が私と同じ二十射中十八中、 勝てるわけがなかった。

 紹介が遅れたが、私の学校は東京農工大学で農学部と工学部の二学部からなる。 1年の間は教養課程で農工どちらの部も農学部のキャンパスで講義があった。
 農学部は府中刑務所の向かい(といった方がよく分かる)、 工学部は東小金井と少し離れたところにある。 そのため弓道場は2つあった。敷地は広く結構恵まれた大学である。
 我々の時は工学部の新谷という男が主将で、 ある日、工学部の道場で練習をしていた時に
「猫が的の前を通ったので、矢を射たら右腹に矢をつけたまま走って逃げた」
と動物保護団体が飛んできそうな話しをしていた。
 追いかけたら、的場の裏に矢だけが落ちていたそうだ。 競技用の矢は鏃を尖らしていない。 的の紙を破くために臍のような突起が出ているだけだ。 殺傷能力はゼロと言ってもいい。

 二年目に1万円を出して自分の弓を買った。 矢が四本ついている。 しかし、私の弓道のつきはこれを境になくなった。 その後、全く的に当たらなくなった。
 当たらなくなったのに新谷は試合で私を出し続けてくれた。 新人戦の記憶があったからだろう。
 弓のせいにするのは卑怯だが、 やはり安物の弓は使うものではない。 弓に張りが全くなかった。
4年になって引退した時、 この弓一式を道場に置いて行ったが、 その後使う後輩がいたかどうかは知らない。

 後先になったが、なぜ弓道部に入ったかと言うと、 高校一年のとき、担任の阿頼耶先生から弓の話しを聞いたからだ。 和弓は的に対して90度右を向く。 頭だけを的に向けて射るという独特の体形をとる。 そのため、 初心者はとんでもない方向に矢を飛ばすことがある。
 その時の先生の話しでは、 体の前に向かって飛んで行ったという。 つまり審判や記録者のいる方向に飛んで行ったことになる。 うかうか見ていられない。
 きっかけとはこんな些細な興味が多い。
くま邦彦:作文家 / 2025/1/13 初稿
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